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広がる助け合いの輪!

令和6年能登半島地震によせて

私は能登町の出身で、地震発生時、実家に帰省しておりました。はじめに震度5の地震が起こったときは、「また地震か。今回はちょっと揺れが大きいな」などと家族で話していましたが、その数分後に震度7の揺れに襲われたときには状況が一変しました。

あっという間に壁にひびが入り、あらゆるものが落下して飛び散るというかつて経験のない事態となりました。すぐに外に出なくてはと皆で玄関に向かいましたが、下駄箱が倒れ、戸も傾いており通ることができません。別の出入り口をどうにか探して、なんとか全員外に出ることができました。

ご近所の方々も皆外に飛び出してきており、見る限りの多くの家が傾くか倒壊しています。すぐに津波警報が発令され、居合わせた方々と共に高台に避難しました。

津波警報が解除された後も、とても家に戻れるような状況ではないため、皆で避難所(小学校)に向かいました。道路は寸断され、どこにも移動することもできなかったため、結果的に私はそこで8日間を過ごすことになりました。

避難生活の中で、私は人と人とのつながりの強さ、大切さを強く実感することになりました。小さな町ですので避難所にいる方たちは皆顔見知りです。近所の方が避難所にいないとなれば家まで様子を見に行くなどして、全員の無事を確認していました。

また、避難生活の中では役割分担も自然に行われ、てきぱきと指示を出す人、食事作りを行う人、町の状況の見回りや情報収集を行う人、進んでトイレ掃除をする人、というようにそれぞれが自分のできることをみつけて自然と行動していることに感銘を受けました。皆が知り合い同士という地域ならではの力が、このような非常時に見事に発揮されていると感じました。 

この地震による被害は深刻で、復興までの道のりは険しいと感じていますが、私も生まれ育った町の復旧・復興に少しでも役に立てればと考えています。 

教職員共済 前理事長 岡島真砂樹